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三輪そうめん・三輪うどんの通販|池利本店

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池利について

三輪そうめん池利とは?

創業嘉永三年より続く老舗素麺会社、社長インタビュー

最初にこの会社の創業に関するお話から伺いましょうか?
最初からと言われると本当に永い歴史をお話しする事になるのですが、実はさかのぼること西暦1850年(嘉永(かえい)三年)創業なのです。 今のような売り物の素麺を作るというよりも、初代が地元で食べるものとして作ったものが徐々に普及していった訳で、商売として売り始めたのは明治になってからで、 二代目が荷車を引いて売りにいったのが始まりということです。 大正末期の三代目になってやっと百貨店様と取引関係が始まりました。 当時の販売方法として素麺が折れないようにとセロファンに包んで売ったのが画期的な出来事だったらしく、それがきっかけになって飛ぶように売れたと聞いています。 いわゆる今の包装形態の始まりだったのですね。
なるほど今の私達の想像を超える時代の流れや出来事が重なっているのでしょうね。 ところで、今は「池利」と呼ぶのが定着していますが、この呼び名はいつ頃からできたのですか?
大正の終わり頃には「池田商店」と呼んでいました。戦前から屋号としては通っていたのですがはっきりとは分からないのです。 ただ、三代目(池田利三郎)は地域の面倒見がとても良くて、その人柄からいつの間にか「池利」という名が先行したようで、そのうち自分たちもそう呼ぶようになった訳です。
今の社長は五代目ですね。ここに来るまでの三代目、四代目の時代はどうだったのですか?
三代目は先に申しましたように、才覚も有り地域の方々との太いつながりを持っていたようです。素麺製造用の機器の開発を始め、地域と連携した発展が出来た訳です。 ところが四代目になって、素麺は続けながらも「春雨」に手を広げ、今、春雨業界で有名な「森井の春雨」さんの先代が韓国から春雨を導入したことで 「私の方で春雨を売らせてほしい」と申し出て全国規模で販売を始めました。私が入社した1972年当時は、素麺よりも春雨の売り上げが多くなり、 森井さんの製造が追いつかないという状態になったことで、自社春雨工場を造ることになったのです。
そんなことがあったのですか。意外な展開ですね。それで素麺は?
ところが私が26歳のときに四代目が病で倒れてしまいました。番頭さんを始め支えてくれる人がたくさんいたことでとても心丈夫でしたが、それまで心のうちでくすぶっていた「何で春雨なんだ?うちは物作りをしてこその商売ではなかったか?」というメーカーとしての思いが強くなっていく一方で、高度経済成長の波に乗ってギフトビジネスが起こってきたことがターニングポイントになって、「春雨」は同業者に委託しながら少しずつ縮小していきました。 勿論素麺ギフトにシフトを移してからは時代の波に乗り、お客様の支持を得て広く会社を知って頂けることになりました。 百貨店が高級ギフトとして木箱に入った素麺を売り出して全国規模で人気が爆発し、中元ギフトの西の横綱と新聞紙上に出た時は、「三輪素麺」は認知されたと嬉しかったです。 当時は「さんりんそうめん」と呼ばれることもありましたから(笑)。
バブルの時期があったとは言え、それ程までに発展できたのは何故なんですか?
今になって思うのですが、やはりそれは良きライバルがあったことだと思うんです。「負けられん!」という遺伝子を持っていたことと、この業界では「池利はメーカーである」という自負、そして独自の商品アイデアなどがバネになってトップの座を維持できたと思います。
アイディアとはどんなことですか?
例えば当時は考えられないことだったのですが、二年物、三年物という「ヒネの素麺」の方が腰があって美味しいということをうたったことです。
ここで新たにうどんにも進出とか聞きますが、何故ですか?
私の中には「池利はメーカーなんだ、麺を作ってなんぼの会社なんだ!」という思いがいつでもありました。 我が社にしかないノウハウでできた工場、商品でこの業界をリードして行くことが「麺文化の確立」につながると思うのです。 三輪素麺作りの中で、まかない食として作られていた「三輪うどん」をより完成度高く仕上げることによって、私は再認識したことがあるんです。 それは、素麺が作れるのだからうどんもできるという甘い認識しかなかった自分に気付かされたことです。 うどん作りを極めると言うことがどんなに難しいことであるかとか、美味しく感じるものとはどのようなものかなど、「お客様の方を向いた物作り」という基本が分かっていたつもりがそうでなかったことに今さらながら気づいたのです。 結局伝統やブランドの力に甘えていたということです。いい勉強をしました。 。
これだけの地位を確立している「池利」でもまだまだ課題はあるわけですね。
では今後のことも含めてその辺のことを伺わせてください。
やはり今後の何十年先を考えると、伝統の継承、つまり池利の継承のために何が大切かを考えないといけないわけです。そしてそれは改革するということだと思います。 継承しようとすれば必ず時代に合わないことができてきます。そのときに時のリーダーに「変えていく勇気」があるかどうかが問われます。実は私はのれんを守るために努力してきたと言ってはいますが、その一方でのれんにあぐらをかいていなかったとは言えません。失敗や苦難をバネにし、会社を変革する。結果として三輪素麺と池利が継承されていくと考えています。 まだまだ私にはやらねばならないことがあります。「三輪素麺と言う麺文化を築いていく」「池利がお客様にどう役に立てるか」という思い。これからも池利の三輪素麺を日本の伝統ある食文化として大切に育てていくという強い心構えでこれからも頑張ります。

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